愛のしるし





 真正面から日向の体を受け止めて翼は思わずぴくっと体を震わせた。
「こら、じっとしてろ」
「だって…」
 日向は翼の右肩側から顔を寄せると首筋に唇を落とす。
「う…くくく」
「ここで笑うな」
 一度唇を離して日向は低く唸った。翼の顔をちらりと一度窺ってからまたうな じに顔を埋める。
 翼はそんな日向の肩を両側からぎゅっと抱きしめた。
「…日向くん、猫くさ〜い」
「なんだと」
 今度はそんな言葉には構わず点々とキスをたどり続ける。うなじから肩口へ、 そして首筋を前に移動してあごの下まで。
 顔を傾けてあごの先に最後のキスをしたところで翼が日向の肩を柔らかく押し 返した。そうやって正面から日向の顔を上目遣いで見つめる。
「せめて虎くさいって言えよ」
「俺、虎のニオイなんて嗅いだことないしー」
 そう言ってから翼は自分からまたぎゅっと日向を抱き寄せた。
「猫でも虎でもなくて、日向くんくさ〜い」
「まあ、当たり前だろ、それは」
「ふふふ」
 しばらくそんな抱擁をしているところへ、背後から手が伸びる。
「はい、もういいだろ。時間だよ」
 日向の陰から翼がひょいと顔を出して目を丸くする。
「え、もう?」
 そこに立っていたのは岬だった。両手を腰に当てて微妙に視線を逸らしてい る。
「そう、入場の時間」
「は〜い」
 翼は素直にベンチから立ち上がるとユニフォームの襟を手でぱぱっと直した。 「どう、日向くん。うまくついてる?」
「はいはいはい!」
 覗き込もうとした日向を押しのけて岬は翼の手を取り、ロッカールームの出口 へとぐいぐい引っ張っていく。日向は苦笑しながらそれに続いた。
「翼の頼みだからやってるんだ。そうふくれるな、岬」
「いくら翼くんのジンクスだからって調子に乗るんじゃないよ、小次郎」
「えーっ、でも…」
 翼はにこにこと反論する。
「このジンクス始めてから一度も負けてないよ?」
 グラウンドに出て行く前の整列にようやく彼らは追いついた。というより、余 計な動揺を避けたくて他のメンバーが必要以上に早くこちらに移動していただけ なのだが。
「負けてないのは翼くんの実力! 小次郎のキスマークなんてぜんっぜん関係な いから!」
「え〜、そぉ?」
 岬に背を押されて翼は列の先頭に出た。相手チームは今頃バラバラと揃い始め たところだった。
 翼の次に並ぶ若島津が、用意していたペナントを翼に渡しながらその襟首にグ ラブをはめた指をかけて中を覗いている。
「よしよし、しっかりつけてあるな」
「そう? よかったー。これで今日も負けないよ!」
 翼は力強くそう宣言すると列の背後をぐるっと覗き、列の最後尾の日向に元気 よく声を掛けた。
「じゃあ日向くん、ハーフタイムも頼むね、さっきの続きを!」
「もちろん」
 その間に立つメンバーたちは視線を泳がせるがもちろん当人たちは気にしてい ない。(若島津はどうせ無表情なので不明だ)
「ああもう…いつまで続くの、このジンクス」
「気をしっかり持って、岬くん」
 3番目の岬をその次の三杉が支えるが、そのことにさえ気づけないほど、岬は がっくり肩を落としていた。
「ああ言ってるけど、試合が始まったら岬もすげーパワー出すんだよな。自分に とってもジンクスになってるって気づいてないのかね」
 日向の前に立つ松山がちらりと振り返る。
「だからっておまえ、いい気になってると後がコワイぞ、日向」
「望むところ」
 スタジアムの歓声が弾ける。
 選手たちの列が姿を見せる前にこんなやりとりがあることなど――知らなくて 幸せだったよね。


end