さわって・変わって





「ダメじゃないですか、若林さん」
「う…」
 久しぶりの再会となった森崎の言葉は容赦がなかった。思わず首をすくめたの はその叱責のせいではなく、薬がしみたからなのだったが。
「どうしてこんなつまんないケガなんてするんです。大会前に」
「いや、だから大したことはないんだ。もうほとんど治ってるし」
 森崎は消毒を手早く済ませると、薬を塗ったガーゼを注意深く患部に貼った。 「その治りかけのところをまたこうやって傷めちゃダメでしょう」
 視線はずっとその手当ての場所から動かすことなく森崎はきっぱりとそう答え た。若林は上目遣いにそんな森崎の顔をちらりと見る。
 真剣に手を動かす表情はむしろ険しく、その口から出て来る生真面目な言葉も 若林にはじわりとしみた。
「若林さんはベストコンディションで出てもらわないと――」
 サージカルテープをぐっと切る一瞬だけ森崎の言葉は途切れた。
「俺が困るんです」
 はい、とばかりに若林の手当てを終えた腕を放して、森崎は顔を上げた。やっ と視線が合ったそのタイミングで若林はぽかんとする。
「え…? 困るって…」
「ええ」
 パイプ椅子に掛けたまま、森崎は向かい合う若林の顔をじっと見つめる。
「若林さんや若島津がケガをした時しか出番のないGKって言われるのはイヤで すから」
「……」
 なんだか、一瞬だけ、気のせいか、自分の知らない森崎の顔がそこにあった。 そう感じてしまった若林は言葉の続きに逡巡する。
「えーとだな、つまりそれは…」
「ベストコンディションの若林さんを差し置いて出場、ってのが俺の最終目標な んです」
 一転しての全開の笑顔だった。それを真正面から受け止めた若林は不甲斐なく もベッドの上でくらりと目を回したような感覚に囚われた。
「…トントン」
 なぜか音ではなく声でノックが聞こえた。森崎がそちらを振り返る。
「あ、若島津」
 医務室のドアは最初から半開きだったのか、その間からぬーっと太い腕が突き 出していた。その向こうに半分だけ見える顔がかなり不気味である。が、森崎は 嬉しそうな顔で立ち上がった。
「頼んでた薬? ありがとう、若島津」
「……」
 森崎に白い袋を渡すとその腕は消えた。じゃあなと言うようにわずかにひらひ らしたように見えたが。
「じゅ、準備がいいな」
 共に国内組となる2人のほうは連係も良好の様子で、なかなか代表チームでも 合流できない若林は少しだけ疎外感を味わうところである。
「はい、じゃこれを飲んでおいてください」
 1回分の錠剤を折り取って若林の掌に置き、コップにくんできた水を渡す。
「ああ、わかった。この後の練習は俺も行くから」
「…そうですか?」
 午前中はキーパーだけの別メニューで、この昼休みの後は全体練習の予定だっ た。
「もう少しここで休んでからのほうがいいと思いますけど」
 若林からコップを受け取ってそれを洗い、森崎は洗面台から戻って来た。
「向こうのシーズンの日程をやりくりして飛んできたばかりなんですから、今は バタバタしないほうがいいですよ。またケガされても困るし」
「森崎…?」
 くらりと。
 今度こそ本当にくらりと目が回る。
「おまえ――まさか…?」
「薬は飲む前にちゃんと確認するものですよ、若林さん。さっきのは抗炎剤と睡 眠導入剤です。じゃ、よく休んでくださいね」
 森崎はにっこりと若林の顔を覗き込んで毛布を掛け直した。
「も……」
 その先はふわふわとした感覚にフェードアウトしていってしまう。
「俺を置いて行くな〜」
 そう、いろんな意味で。
 医務室にはやがて静かな寝息だけが聞こえていた。


end