猫になりたい





「淳、頼む!」
 部活の後、松山がいきなり拝んだので三杉は目を丸くした。
「寄り道、したい?」
「うん」
 そんなことわざわざ頼むことかな、と口の中でつぶやくと、松山はいきなりに こーっと笑顔全開になった。
「ねえ、ここって」
 電車駅に向かういつもの道ではなく、学校から別のルートを行く。
「おとといロードワークで通った道だよね」
「そう」
 松山はバッグを肩にかついで先を急いでいる様子だった。といっても三杉の一 歩だけ先を行くその間隔は広げない。
 まばらに商店が並ぶちょっと寂しい商店街を右に折れ、バス通りを少しだけ進 んでそこから一本脇にそれると、片側にコンクリート塀の続く道に入る。昭和初 期からある老舗メーカーの工場だった。
「光?」
 その塀の途切れる場所で松山がはっと足を止めた。三杉も追いついてその場所 に立つ。
「…いた」
 昔の通用門の一つだったのか、塀を切り取るようにして錆びた鉄の門扉がそこ にあった。ささやくような小さな声で松山が言ったので三杉もその視線の先を追 う。
 門扉の向こう側、倉庫のような壁とこちらのコンクリート塀のわずかな間に何 かが動いていた。細い声も一緒に聞こえる。
「いち、に…、さん、し――よかった全員いる」
 灰色のほこりのような色をした小さい塊。それが転がるようにもつれるように 動く。
「子猫?」
 三杉が声を出すと、松山は振り向いてちょっと真面目な顔を見せた。
「うん。ここ通った時に、見つけた。ロードワークの時、声が聞こえたから覗い てみたらここに捨てられてたんだ」
 側には茶色いクラフト紙の手提げバッグがぼろぼろになって転がっている。こ れに入れて持ってきた? ゴミみたいに…。
 松山の目がそういう怒りのようなものを映しているのを三杉は見た。
「…まだ、乳離れもしてないみたいなんだ。目もちゃんと開いてるかどうか。だ からどうしても気になって」
「助けたいんだ?」
 三杉がうなづくと、松山が少し戸惑った顔になった。
「い、いや。うちで飼おうとか、それは頼むつもりじゃないんだけど」
「え? 飼えばいいんじゃないかな」
 松山は真剣に首を振った。
「俺、おまえが猫飼えないの知ってるから、それはいいんだ」
 アレルギー。松山は家族から話を聞いたことがあったらしい。子供の頃にペッ トを飼いたがった三杉が医師に止められてそれがかなわなかったこと。
「そんなの、ずっと昔の話だよ? もう大丈夫だよ、きっと」
「いや、これは俺の勝手だから」
 松山はがんこに言い張った。
「でもうちじゃなくても、誰か飼える人を探せるかなって思ってさ」
「そう?」
 自分がそんな遠慮をさせているのかと三杉はちょっとすまない気にもなった が、松山のそんな決心はどこか嬉しかった。
「じゃあ、まずは獣医さんに診せてからだね」
「ありがと!」
 話が決まると松山は門扉の下の隙間から腕を突っ込んで、猫を一匹ずつ引き寄 せた。
「汗くさいけど、勘弁な」
 バッグから練習用のユニフォームを出してそれに子猫をくるむ。三杉には離れ ているように厳しく言いつけて、松山はそっとそれを覗き込んだ。




「任せておいて」
 話を聞いてやってきた弥生は自信満々に宣言した。
「貰い手はすぐ見つけるわ。それまでうちで預かるから」
「すぐって…?」
 夜道を車で送ってきてくれた兄の車に子猫を運び入れてから弥生は心配そうな 三杉に向かって笑ってみせた。
「誰か、心当たりがあるとか?」
「そうじゃないけど。じゃ、2人の名前借りても、いいよね?」
「名前を借りるって何だよ」
 松山も不思議そうにするが弥生は笑って帰って行った。
 ちょっと名残惜しそうに松山はそれを見送る。三杉はその肩にぽんと手を置い た。
「可愛がってくれる家に決まるといいな」
「そうだね」
 やっとこちらに向き直って松山はニッと笑った。
「青葉があそこまで言うんだから、大丈夫だろ」
 そうしてその言葉通り、翌日の夕方には「4匹とも貰い手が決まった」という 弥生からの連絡があった。
「すごいな。どうやってこんなに早く?」
 電話の向こうで弥生はいたずらっぽい笑い声を上げた。
「内緒よ。女の子の内緒」
「なんだい、それ」
 弥生の口は固かった。でも、何ヶ月かして子猫がすっかり大きくなった様子を 一匹ずつ写メで見せながら弥生は松山にだけ種明かしをした。
「淳にはファンクラブのネットワークが今もあるの」
 そう、小学生の頃から三杉にはたくさんのファンがついていた。
「私もね、その残党の一人だから、いざという時には情報を流せるのよね」
「残党って…」
 彼女という定位置を確保しつつその他大勢の中にしっかり紛れ込むとはなかな か侮れない。
「その子たちに頼んだのか」
「頼んだというか…。飼うって立候補した子がいっぱいいて抽選で決めたくらい よ」
「すごいな。でもなんでだ?」
 目を丸くして驚く松山に、弥生は片目をつぶってみせた。
「ふふふ。名前に淳ってつけていいって淳本人の許可があるって言ったの」
 松山はそれを聞いて笑い転げた。
「じゃ、じゃあ、こいつら4匹とも淳って名前なのか。青葉、おまえ、やるなぁ 〜」
「そりゃもう大事に可愛がられてるから安心してね、松山くん」
「楽しそうだね」
 くすくすと笑い合う二人の背後に三杉が立つ。
「何の内緒話かな?」
「ああ、淳、これ! これ見ろよ、あの子猫たちデカくなってるだろ」
「ふ〜ん?」
 不審そうな顔は弥生の携帯を覗き込んで消えた。
「そうか。元気そうでよかった。よかったね、光」
「うん」
 松山はその背後から三杉を抱え込んだ。
「俺は飼えなくてもこいつらが幸せに暮らしてるならそれでいいよ。ここには本 物がいるしな」
「そうよ。うんと可愛がりましょうね」
 二人だけで判り合っている様子に不服そうにしながらも、三杉は抵抗もせずに 頭をぐりぐりと撫でられていた。
「なんだか知らないけど、君が嬉しいならいいよ」
「うんうん、嬉しいぞ」
 そんな様子に呆れながら、猫と犬みたい…と弥生がこっそり考えていたのは、 もちろん秘密。


end