魔女旅に出る





「はいこれ」
 床に直接座り込んでいた三杉の頭上から白いものが降りてきた。
「これしかなかったんだ」
「サンドイッチ?」
 手を上げてそれを受け取ると、少し身をかがめた岬と目が合う。
 狭くやや薄暗いこの場所では岬も頭を下げないと入り口で頭をぶつける。その 狭い分だけ、2人の間の距離も近くなる、それだけだったのだが。
「ありがとう。手に入れるだけで大変だっただろう」
「…」
 渡された包みの中身を2つに分けて、隣に座った岬に片方を渡す。岬は不機嫌 と言うよりはどこか落胆気味にそれを受け取った。
「君の口には合わないだろうけど、ガマンして」
「え?」
 ぱくりと一口食べた三杉は、岬の言葉に驚いたように振り向いた。
「口に合わない…?」
「こんな残り物でさ」
 さまざまな人間が行きかう場でうまく人目を避けつつ食料を調達してくるなど 簡単なことでなかったことは間違いない。少なくとも自分なら絶対真似できない ことだと三杉は思っていた。
 反射的に手に持ったサンドイッチに目を落とし、三杉はくすりと笑う。
「僕がグルメだと言いたいなら大間違いだよ。病院の食事が僕の味覚の基準だか ら」
「ああ…」
 岬は一緒に苦笑した。
「あれね。麻酔から覚めた後の最初のおもゆ。水さえもらえないで一日待って、 その挙句の味だものね」
 互いに似た経験を重ねている2人だった。
「とは言っても三ツ星級の舌の持ち主に失礼だよね」
「いやいや、それは君のことだろう。フランス各地の名店でソムリエを震え上が らせてるくせに」
「大げさ」
 岬はポケットに入れていたミネラルウォーターのペットボトルを1本取り出し て床に置いた。
「今は白ワインよりこれ。動けるだけのぎりぎりのエネルギーと水分でね」
「…動けるのかい?」
 自分のサンドイッチをあっという間に片付けた三杉が期待を込めた目で見返 す。
「ああ、やっとね」
 岬もぽんと最後のかけらを口に入れて手をぱんぱんと払った。
「ついでに確認してきたから。やつら、僕が日本にはいないんじゃないかって疑 い始めてマークを外してきた。逆に今動いておいたほうが説得力があるよ」
「オフサイドトラップだったら?」
「それならそれで利用させてもらうだけだ」
 先に飲んだ三杉からペットボトルを受け取りながら岬はすっと笑みを消す。三 杉もうなづいた。岬が残りの水を飲み干すのを待って手早く準備を始める。少し の痕跡も後に残さないように。
「あ、岬くん」
 ふと岬のほうを振り返って三杉はとがめるような声を上げた。
「さっき座る時にほら、裾が折れてしまってる」
「いいよ、そんなの」
 岬もちらりと目を落としてふてくされた返事をした。
「よくないよ。レースが曲がっちゃったじゃないか」
 立ち上がった岬の衣装をぐるりと回りながらところどころ直してやって、三杉 は難しい顔で最終点検をする。
「はい、髪もね」
 手を伸ばして髪をふわりとなでてから三杉は満足げに笑った。
「これで黒い魔女の出番はOKだ」
「あーあ」
 その笑顔にがっくりと肩を落として岬はため息をつく。
「お互いに目をそむけても無駄だよね。相手を見たら自分の姿もわかっちゃうん だから」
「そう、諦めが肝心だよ」
 黒いレースをひらめかせ、2人の魔女の出陣だった。


end