明日の朝、ザールブリュッケンに出発する。
「祭」が始まるのだ。
HOLIDAY
〜聖シュテファヌスの日に寄せて〜
●
St.STEPHAN FESTA(通称キーパー祭)
毎年3月12日にザール州のザールブリュッケンで行なわれるゴールキー
パーの祭。ゴールキーパーの守護聖人である聖シュテファヌス(石打ちの刑
で西暦35年に殉教)にちなんで16世紀頃に始まったとされる宗教儀式が
19世紀の後半には広く近在のゴールキーパー達が一堂に会してこの日を祝
うようになり、現在はドイツ全域あるいは近隣諸国からプロ、アマチュアを
問わず集まって繰り広げられる一大イベントへと発展した。12日をはさん
で3日間にキーパーにちなんだ様々な企画が繰り広げられ、この期間中に集
まる参加者は延べ12万人にも及ぶ(2003年調べ)。町の会場に設けら
れた大テントでは早朝から深夜まで延々と酒宴が行なわれ、この祭で消費す
るビールは約120万リットル、ソーセージ120万本、ニワトリ12万羽
と、ミュンヘンのオクトーバーフェストも顔負けのスケール。集まるのがキ
ーパーだけにその飲みっぷり暴れっぷりも相当なもので、日頃のうっぷんを
この時とばかりに晴らすのか、会場のあちこちで派手な乱闘が見られること
でも知られている。もっともこういう荒っぽい交流も祭の楽しみの一つなの
で、ある程度なら無礼講ということで警察も大目に見ているようである。た
だこの期間、会場に出入りが許されているのはキーパーのみということで、
もしこっそり部外者が紛れ込もうものならゴールキーパーならではの勘です
ぐ見抜かれて袋叩きにされると伝えられている。ドイツ三大奇祭の一つと言
われている。 (→ビール祭、ケルンの山羊祭)
―『ドイツ風土歳時記・春』より―
|
●
「――おい、何してる」
自室のドアを開けるなり、ヘフナーはその場に足を止めざるを得なかった。
彼の住むアパートの一室の中は服だの本だのブラシだのがいっぱいにまき散ら
されて大変な惨状を呈していたのだ。
「うるさいっ!」
特にあわてるでもなく声をかけたヘフナーを、シュナイダーはキッと厳しい目
で振り返った。床に置かれたトランクの中身をさっきからつかみ出しては放り投
げているその現場を押さえられたというのに、悪びれないのはさすがか。
「ヘフナーなんか…ヘフナーなんかバカヤロだ!」
もちろんそのトランクもその中身もシュナイダーのものではない。ヘフナーは
自分目がけて飛んできたパンツを受け止めるとそんなシュナイダーをまじまじと
見つめた。
「バカヤロってな、おまえ…人の部屋で何やってんだ」
「ザールブリュッケンなんて行かせないからな!」
さてそんなヘフナーの言葉が頭脳に届いているのか、シュナイダーの勢いは止
まらなかった。
「おいおい、まだそんなこと言ってんのか」
「……おまえはずっとここにいろ」
睨み返すシュナイダーに、ヘフナーも詰め寄った。
「何言ってる、キーパー祭は毎年恒例だろうが。なんだって今年に限って止める
んだ――」
「……」
ヘフナーは目の前のシュナイダーの表情に気づく。
「シュナイダー、まさか…」
ヘフナーは動きを止めた。
「おまえ、何かカン違いしてないか?」
「え、だって…」
シュナイダーも抵抗をやめ、目の前のヘフナーを見上げた。
「キーパー祭では、その年に引退する選手が引退宣言するっていうから――」
「おやまあ」
口ごもるシュナイダーに、思わずヘフナーは苦笑を浮かべた。
「バカはどっちだよ」
脱いだコートをばさっとシュナイダーの頭にかぶせる。
「第一、引退って、人を年寄りみたいに…」
「で、でも!!」
心外だと言わんばかりにその頭上から声をかけられて、シュナイダーもムキに
なってコートをはね退けた。
「でもおまえ、代表も抜けて大学行くって…!」
「あーあ、せっかく詰めた荷物を…」
しかしヘフナーは床に膝をついてまき散らされた荷物を拾い集めようとしてい
た。
そして自分を見下ろすシュナイダーに向けてふと顔を上げる。
「獣医がゴール守っちゃおかしいか?」
「……」
ぴくりとシュナイダーが肩を動かした。
「引退じゃない。ちょいと寄り道して来るだけだ」
ニヤリと笑ってヘフナーは手を差し出した。
「さ、おまえもパンツをよこせ」
「? …え、え?」
いきなりの言葉にシュナイダーは固まる。
「そんなに心配ならおまえも連れてってやるぜ、ザールブリュッケン」
「えーっ、でも…」
そこでやっとヘフナーの言わんとしていることに気づいたらしい。
「GK以外は立ち入り禁止なんじゃないのか?」
「そうだな」
ヘフナーは指摘されて腕組みをした。
「おまえみたいなバリバリのFWは匂いですぐにバレちまうな…」
いや、そういう問題よりも、顔でバレませんか。
「そうだ、いい手がある。要するに、GKの匂いをすり込んでFWの匂いをごま
かせばいいんだ」
「なんだそれは…」
名案を思いついたと手を打つヘフナーにシュナイダーは不審そうな目を向け
る。
「どうやって?」
「俺のベッドで、スキンシップ!」
嬉しそうに自分のベッドを指差すヘフナーだった。
「ほう…」
一度見開いた目を、シュナイダーはじっとりと細めていく。そしていきなり間
合いを詰めてヘフナーを締め上げた。
「…バカか、おまえは!」
「ダメか?」
締め上げられてもはるかに身長の上回るヘフナーは動じない。そんな素直なシ
ュナイダーの反応に楽しげな顔を見せるばかりであった。
「ダメに決まっている!!」
「祭」は明日。
「それじゃ獣医(おいしゃ)さんごっこというのはどうだ…」
「……!!」
明日は早いよ、早くお休み、お二人さん。
end
|